電動アシスト付きのレンタサイクルの、緑色の姿をたびたび見かけるようになった金沢中心部ですが、歩けると言えば歩けなくもない距離感です。

尾崎神社
車や自転車だと通り過ぎがちな、お堀通りの朱色の神門、気になったことはありませんか。
北陸の日光、金沢東照宮と言われた建築
朱色の神社が珍しいということはないのですが、この外観の透塀(すきべい)まで赤い、というのは、なかなかに目立ちます。
上堤町の交差点から向かうと、突然異空間が現れるような感じがします。
由緒書きに、前田家四代藩主高光公によって建立された、とあります。
もともとは金沢城内にあった寺院で、3年ほどかけて行われた造営は、十数棟に及ぶ規模だったということですから、相当に煌びやかなものだったに違いありません。
このように所々に葵の紋が見られます。
当時、徳川家康公の御神霊をお祀りするために、全国で競い合うように東照宮の造営ラッシュのようなものがあったのだそうです。
なんで徳川家康が?
と、思ったのは私だけじゃないはず…。と、信じて続けますが、そもそも東照宮とは徳川家康を祀っているものだと認識したのも、はずかしながらそう昔のことではありません。
正直言いますと、珠姫さまが徳川家康の内孫だったということすら、それなり大人の年齢になってから知ったことで、
金沢の人にとっては常識なのかと思い、情けない気持ちになりましたが、実際のところどうなのでしょうか。ご存知でしたか…?
つまり四代目高光公というのは、百万石祭りで小さいこどもが台車に揺られて小さく手を振っているイメージしかない利常さまと珠姫さまの、ご長男であるわけなのですね。
高光公は、母方の曾祖父である、偉大な徳川家康を尊敬していたのでしょう。
明治になってから現在地へ
金沢城の敷地が、陸軍省の所管となるため、城外へ移築されることになったようです。
その際に、天照大神を勧請し三代目利常公も御祭神に加え、東照宮の名を「尾崎神社」としました。
拝殿や本殿など中心となる部分をコンパクトにして、現在の姿となったようです。(ちなみに城内の東照宮にあった護摩堂が、長田菅原神社に移築されました。)
とは言え現在この神社の境内は、魔除けの朱色に守られているスマートな雰囲気や、意匠の凝らされた細部だったりが、素直にかっこいい!と感じさせる神域になっています。
なので、私個人としては、かっこよくて信頼のおける上司に、仕事の相談をしに行くような気持ちになって参拝し、
手を合わせては、何となく有益なアドバイスをもらって帰る。
というのが尾崎神社のお詣りになっています。
(徳川家康に「鳴くまで待とう…」と言われたようなおみくじを引きました。)
ぜひ、おみくじも引いてみてくださいね。
冬季の雪囲い
3月の初めに行った時は、まだ雪囲いがあり、より朱色の神社だったのですが、その数日後に囲いが取り外されていました。
普段の姿も、立派です。
囲いがないと、裏にある本殿がよく見えます。ここに神様がお祀りされているのですね。
その隣にお稲荷さんがいます。
鳥居は、拝殿、お稲荷さんの左手側にあります。
鳥居の真正面にある手水舎です。
神門から上堤町の交差点方面を見るとこんな感じ。
近隣には、この正面神門を出て左に行ったところに、工事中の鼠多門があります。
橋の下を通ると木の香りがしました。尾山神社東参道の東神門がある通りです。
歩いて散策しがいのあるエリアなので、お散歩ついでにいかがでしょうか。
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