江戸時代、金沢城は、北東に浅野川、南西に犀川が並行に流れる、その間の小立野台地の先端に構えられ、川という天然の外構に守られていました。
西から城下に入るためには、橋番のいる犀川大橋を渡らなければいけませんでした。
1594年、浅野川大橋とともに犀川大橋も、木製の橋としてその歴史を歩み始め、今なお人々の往来を支えています。
桜橋から犀川大橋へ歩く
桜橋は、犀川大橋よりひとつ上流にある桜色の橋です。
春には桜の並木になる、その傍に「犀星のみち」があります。
室生犀星も愛した犀川、川沿いにはゆかりのものが点在しています。
河川敷に降りれるので犀川大橋まで歩きました。
ここは2本の用水の暗渠が犀川と並走しています。
金沢のお天気は、だいたいこういう曇り空で、雨も降ったり止んだりします。
近年になってお天気は昔ほどではないにしろ、こういう風景がわりと金沢スタンダードなのかなと思いました。
このお天気を愛せたら、文豪みたいな偉大な芸術家になれたりするのでしょうか。
犀川大橋を眺める
この橋は、2000年に国の有形文化財に登録されました。
それ以前から、ここは小学生の写生大会の聖地のひとつなのじゃないかと思います。
蛤坂から橋の南詰を見るとこんな感じです。
骨組みが美しいです。
このような橋は、トラスと言う、三角形を基本単位としたその集合体で強度を高めるもので、東京タワーなどにもみられる構造です。
橋から上流を見上げると白山連峰が見られるのですが、、、
骨組みに夢中になってしまい、山側背景を撮りそびれました…
こちらが北詰、片町から見た犀川大橋です。
水色のグラデーションに塗装されているのがわかります。
ライトアップされた夜の橋の姿も好きです。
橋周辺のあれこれ
再び片町方面から戻りまして南詰右手には、交番があります。
ここに交番があるのは江戸時代の橋番の名残なのでしょうか。
その交番の建物真下に、泉用水の水門らしきものがありました。
河川敷を並走していた用水のひとつが、ここから市街地へと向かっているようです。
室生犀星の育った雨宝院がある辺りから地上に姿を現し、白菊町の交差点を横断して街中を流れていきます。
水門からふり返ると、橋の下が見れます。
このようにトラス単鋼橋である犀川大橋には、橋脚がありません。
大正11年の集中豪雨で、わずか築3年の鉄筋コンクリート橋が流されてしまった後、様々な困難を乗り越えて約2年かかって完成させたものが、現在のこの形の鉄橋だったそうです。
橋脚がないのは、大雨対策だったのでしょうか。
それから改修や再塗装などを繰り返しつつ、そろそろ100年が経とうとしています。
(2020年現在で96年目)
この橋の上を市電が通っていた歴史もあるし、とても丈夫ですよね。
交番正面にあるのは、蛤坂(はまぐりざか)です。
この坂の右側を登って行くと、大通りに出ますが、
交差点すぐ左手に谷口吉郎・吉生記念金沢建築館があるので、この坂が近道です。
古い建物が残っていて雰囲気のある、素敵な坂です。
国の登録有形文化財とは
築50年以上が経っていて、
⑴ 国土の歴史的景観に寄与しているもの
⑵ 造形の規範となっているもの
⑶ 再現することが容易でないもの
というのが条件なのだそうです。
再現しづらいものらしい、というところが、観ておけるうちによーく観ておこうっていう気持ちになる橋です。
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