金沢の縄文遺跡「チカモリ遺跡公園」

もしかすると地元民ならば遠足で行ったことがある!という方もいらっしゃるかもしれません。とくに気にも留めない、身近な公園のひとつだと思います。

実は、この遺跡の発掘作業によって見つかったものがきっかけで、それまでの縄文時代の定説を覆すことになったことはご存知でしょうか。

公園入口正面に立っている石碑に、「全国に話題を呼び、学術的にも貴重な遺跡であることがわりました」とあります。昭和55年のことだそうです。

祭祀場としての役割があったかも?

想像以上に、高度な文化や精神活動があったのではないか、ということを物語るとされているのが

この環状木柱列(ウッドサークル)と言われる、木の柱が輪になって立っているものです。

ここにあるのはコンクリート復元ですが、遺跡からは栗の木の柱が出土しています。 

 

縦に半分に切られた巨木の柱の跡が、この場所に250本ほど発見されたのだそうです。

発掘以前、このような巨木が建築に見られるのは、もっとずっと後の奈良時代などの寺院に使用されているものが初めて、と考えられていて

石器中心の時代に、このような大きな硬い栗の木を切り出し、意図的に柱を立てることが可能であった、という事実が発見されたことで、縄文文化を見直すきっかけになったのだとか。

環状木柱列は、当時の人々が集まる場所だったのでは?と言われています。

出土品の中には、高度な技術なのはわかるが、一体何に使うのかまったくわからないものなどもあったそうで、現在知りうる文明とは違っているのだろうなと思います。

調べてみると、ここは当時の神聖な祭り事の中心地だったのではないか、という説を唱える学者の方もいらっしゃいました。

 

今より寒冷な気候だった縄文時代

チカモリ遺跡公園は、金沢市新保本町5丁目にあり、新金沢郵便局の近くです。

手取扇状地の北東端部に位置し、縄文時代には低湿な寒冷地で、今よりもっと雪が多く降り積もっていたのだそうです。

公園には、そのような気候で育つ樹木(ウラジロガシやトチなど)が植えられていました。

このあたり一帯が縄文のムラを形成していた土地のため、遺跡が多数点在しているとのことで、その中心であったらしい場所を、チカモリ遺跡公園という形に保存しています。

公園に隣接して、出土したものを展示してある収蔵庫もあります。

とくに高い建物もなく、開けた場所なので、自然と広大さを感じるし、呼吸がしやすく、縄文時代のことを考えるとほんのり神聖な気持ちにもなりました。

まだお金が存在していないくて、格差もなかったであろう縄文時代に、人々は集まってどんな暮らしをしていたのでしょうか。

電気も水道もなく、環境は厳しそうだけど、あったかい人の輪を想像しました。

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