現代の平成日本人男子でも、「身長190cm以上」という高条件を満たす人はなかなかいません。
http://www.fukumitsuya.co.jp/sake/kagatobi/
加えて「顔色たくましく」「力量も優れた者」とありますから、加賀鳶がいかにたくましいイケメン揃いだったかがわかると思います。
さらにそのいで立ちも、「五尺(150cm)ほどの鳶口」を持ち、「雲に大稲妻の色刺し絆纏(ばんてん)の長半纏(ながはっぴ)」、その上に火事装束の「鼠色の革羽織」を着込み、「蒲色(かばいろ)の脚半」と「白紐黒足袋草鞋(しろひもくろたびわらじ)」で足元を固め、髪型は「比類なき江戸一流」の「加賀鳶髷」、歩く姿は「六方振り」と伝わります。
まるで歌舞伎に出てくる弁慶のような堂々とした出で立ちで江戸の町を闊歩し、女性からの人気も絶大だったそうです。
そして「加賀百万石」という準御三家としての家格の高さ。
金沢の方は石高日本一の「加賀百万石」(一説には120万石とも)という言葉を、子供の頃から耳にタコができるほど聞いていると思います。
これがどれだけ凄いことかというと、2位の鹿児島藩が72万石、3位の仙台藩が62万石といいますから、明らかに桁違いの凄さです。
加賀百万石の加賀前田家は、徳川御三家(水戸・尾張・紀州)に次ぐ高い格式と、日本一の石高を誇っていたので、加賀鳶も文句のつけようのない超スーパーヒーローと言われたのでしょうね。
加賀鳶のいさましい姿は歌川豊国や歌川国芳の浮世絵にも描かれ、明治に入ってからも、河竹黙阿弥によって歌舞伎の『盲長屋梅加賀鳶』に描かれました。
時代が変化しても、どれだけ高い人気を誇っていたのかがわかります。
しかし江戸時代が終わり、幕藩体制が崩壊すると、火消も加賀鳶も消滅する運命となりました。
しかし前田家は加賀鳶をお膝元の金沢に呼び寄せ、加賀鳶はその伝統と技を金沢市消防団に伝えました。
今も金沢市消防団の「加賀とびはしご登り保存会」によって、江戸時代の加賀鳶の伝統と技が受け継がれ、その雄姿を見ることが出来るのは、とても幸せなことだと思います。
ぜひ金沢のイケメン男子の方々に、どんどん「加賀とびはしご登り保存会」に入って頂き、全国区、いえ、クールジャパンのスーパーアイドルになって世界に羽ばたいて欲しい! と切に希望します。
http://fire.city.kanazawa.ishikawa.jp/syouboudan/4kagatobi/4rekisi-1engi.html
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