東京で、金沢みーつけたっ! ―加賀鳶は、江戸の超スーパーヒーロー!―

東京都文京区本郷。現在東京大学がある場所は、元々は加賀前田藩の江戸上屋敷があった場所ですが、その広さも半端なかった! 

なんと約10万4千坪、東京ドーム7.3個分もあったそうです。http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/josetsu/2004_07/kaga.html

この加賀前田藩上屋敷が召し抱えた大名火消が「加賀鳶」です。

加賀鳶といえば、お正月の出初式や6月に開催される加賀百万石まつりでその素晴らしい技が披露されますから、金沢市民にはすっかりお馴染みだと思います。

この加賀鳶が、江戸時代は江戸市民の超スーパーヒーローだったのです!

http://fire.city.kanazawa.ishikawa.jp/syouboudan/4kagatobi/4rekisi-1.html

特にお正月は本郷の江戸上屋敷近くで出初式を行ったそうで、これが「江戸正月の花」と呼ばれるほどの大人気でした。

「火事と喧嘩は江戸の花」といいますが、江戸の町はとにかく火事が多く、江戸の大部分を焼失するような信じられない大火事にも度々見舞われました。

江戸時代の約260年の間、金沢では3回の大火事がありましたが、江戸では49回も大火事があったそうです。

からっ風と平野、そして当時から人口が密集していたのも原因なのでしょうね。

[dfads params=’groups=733&limit=1‘]

そのため江戸の町では消防組織の「火消」の制度がきちんと整備されたのですが、町人が組織したものを町火消、武士が組織したものを武家火消と呼び、その武家火消の中でも大名が組織したものを大名火消、旗本が組織したものを定火消と呼んだそうです。

これら火消は勇猛果敢に火の中に飛び込み、町を火の手から守るヒーローとして、江戸っ子たちの憧れの的でした。

その火消の中でも一番の人気を誇ったのが、加賀前田藩上屋敷が召し抱えた加賀鳶でした。

『絵本江戸風俗往来』によると、加賀鳶の採用基準は「身長六尺三寸以上」「顔色たくましく、力量すぐれし者を選びて鳶とす」とあります。

「六尺三寸」というのは「190cm」のこと。

江戸時代の日本人男性の平均身長は150cmといわれますから、どれだけハードルの高い選考基準だったかがわかります。

1

2

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。